三十年戦争 400年企画

三十年戦争漫画「イサック」考察

スピノラ狙撃の力学

著:オオタ(@masa0ta)、旗代(@Hatashirorz

1.目的(ネタバレ注意)

時は1620年、場所はドイツ・プファルツ選帝侯領。繰り広げられるは、戦国日本から欧州に渡ってきた銃士、猪左久ことイサックと日本製火縄銃の大活劇。まるで三十年戦争勃発四百年を狙ったかのような漫画こそ、アフタヌーンで連載中の『イサック』である。そこで今回は、その冒頭のハイライトたるスペインの名将アンブロジオ・スピノラ(1569-1630)を主人公が狙撃して見事に討ち取るシーンについて考察する。

なお、いきなり没年を10年も早めた力業に驚かされたが、本稿ではそういった歴史的な問題は取り扱わない。そもそも劇中で、スピノラの死は隠されて弟のフェデリコがアンブロジオの名前を引き継いでいるので、多分このフェデリコが劇中世界では1630年に死去するスピノラ将軍となるのであろう[]

それはさておき、本稿で取り扱うのは、遠距離から火縄銃で胸甲を撃ち抜いてスピノラ将軍を殺害することが現実的に可能であるかという点である。

一昔前に流行した空想科学読本的な試みと考えてもらって構わない。もちろん、野暮なことは自覚の上である。

2.場面設定

まず、場面の基礎条件を設定する。漫画においてスピノラ将軍は、主人公から350歩の距離から狙撃され、放たれた弾丸は将軍の甲冑(胸甲)を撃ち抜き、そのまま将軍の身体に致命傷を与えている。

よって場面を次のように設定する。

@  射撃距離 

1歩は身長×0.45として、主人公の背丈は当時の日本人としては標準的な約1.6mとする。よって射撃距離350歩は

1.6×0.450.7m

350×0.7245m240m

(測量用の歩幅は小さくなると推定した)

 

A  甲冑(胸甲)

当時の騎兵用の胸甲は威力を増しつつあった銃器の影響を受けて徐々に、その厚みを増していた。しかし、スピノラ将軍は前線の兵士ではないことから、余り重たい甲冑を身に付けるようなことはしなかっただろう[]。そこで撃ち抜かれた胸甲は、厚み1mm程度の薄い冷間加工された鋼板製で、硬度は16世紀後半の一般値であるビッカース硬度HV300程度とする[]

 

1. 射撃条件

射撃距離

240m

撃ち抜く鋼板厚さ

1mm

鋼板の硬度

HV300HB284

3.火縄銃について

 主人公が日本から持ち込んだ火縄銃はどの程度の威力があったのだろうか? 最新の3巻で極めて特殊な高性能品であることが明らかとなっているが、具体的な能力については命中精度が良い程度の情報しか提示されていない。

 そこでまず単行本1巻収録の第2話における弾込めシーンから口径を設定する。本場面では弾丸と第二指、第三指の幅が描かれている。現代人の第二指遠位関節幅の平均値は15.6mmであり、主人公は鉄砲鍛冶見習いであったことから太めであると推定し、16mmと設定した。その結果、弾丸径は画像から読み取ったところ、13.014.8mm程度であった[]。以上より、弾丸径は15mmと推定した。これは日本の基準で言うところの五匁〜六匁筒(中筒)に相当する。第3巻収録の第8話で大量に配備との台詞が劇中にあることからも、当時の主力銃器である中筒であることは妥当な推定であると判断する。

 一方で、銃身長については第1話の描写から、銃の全長が主人公の目線ほどであることが分かる。ここで、歩幅測定で仮定した主人公の身長1.6mをそのまま利用すると、人間の目線の高さは身長の約0.9倍となるため、銃の全長は1.44mとなる。日本の火縄銃の場合、全長から0.3m程度を差し引いた値が銃身長になるため、銃身長は約1.21.1mとなる。この数値も一般的な寸法であり、大きく間違っていることはないだろう。

 

2. 火縄銃諸元

弾丸径

15mm

銃全長

1.44m

銃身長

1.2m

4.銃の威力について

 当時の火縄銃についての威力を示す研究は幾つかあるが、最も信頼できる研究として1988年にオーストリアのグラーツにあるシュタイアーマルク州立兵器廠(Styrian Provincial Armory)に所蔵されていた近世の小火器を用いた性能試験が存在する[]。本稿ではこの試験結果を基本として威力算定を実施する。ヨーロッパと日本で性能差があるのではないかという指摘もあるが、物理学的に言えば火薬以外の要素で前装式滑腔銃の機構差から発生する威力差は基本的に存在しないことから、そのまま利用することができると判断する。

 

1)必要な威力の算出

 グラーツで用いられた試験用銃器を表3に、性能試験結果を表4に示す[]。残念ながら威力算定に用いられた鋼板の硬度については参照した記録からは明らかとならなかったが、別途に収蔵番号RP2895を用いて行われた試験では1570年から1580年の間にアウグスブルクで製造され、冷間加工された軟鋼(硬度HB 290[])の胸甲、厚さ2.83.0mmに対して8.5mの距離からの射撃試験が実施されており、その結果が示されていた。この試験において、胸甲の後ろには衣服を着た人間を模して、2層のリネンに覆われた砂袋が配置された。

 試験結果は以下の通りである。試験時の弾丸重量は9.54g。銃口射出時のエネルギ/弾丸断面積比は838 J/cm2(この値は、弾丸の大きさに囚われない弾丸の運動エネルギを示す)。着弾の瞬間において、弾丸は計算上で速度436 m/s、運動エネルギ907 J、エネルギ/弾丸断面積比は829 J/cm2。このエネルギで弾丸は厚さ約3.0mmの胸甲を撃ち抜き、弾丸は変形して完全に威力を失い、リネン層に埋まった。砂袋に損傷はなかった。つまり試験結果は鋼板を撃ち抜いたが、人間を傷つけることは出来ないというものであった。

そこで、829 J/cm2で硬度HB 290の鋼板3mmを撃ち抜くと推定するならば、1mmの鋼板を撃ち抜くには277 J/cm2が最低でも必要であり、加えると人体に損傷を与えるには、更に多くのエネルギが必要であると判断できる。

 同様の計算をグラーツにおけるその他の試験結果に適用すると、30mの距離で現代の鋼板1mmを撃ち抜くにおいて平均313 J/cm2100mの距離で281 J/cm2が必要であると計算された。ある程度の誤差を含めて考えれば、グラーツの試験における対鋼板の貫通試験結果は、鋼板を撃ち抜いたが人体には影響を与えられなかった可能性を含んだ値と判断される。

 以上の計算から、劇中の火縄銃においては距離240mで最低でも280320 J/cm2のエネルギを弾丸が保有している必要があることが分かる。そこで問題は距離240mにおける運動エネルギの算出となる。

 

3. グラーツの試験用銃器[]

4. グラーツの試験結果[]

2)運動エネルギの算出

空中を飛翔する球体の運動エネルギの推移を算出することは非常に難しい。そこで今回は先行の研究結果を流用して運動エネルギの推移を算出した。

参考としたのはエアガンに用いられるBB弾の弾道計算プログラムである[10]。同サイトには空力学的な説明も詳細に記されており、興味のある方は一読して欲しい。但し、参照したプログラムのみでは実測結果と一致しなかったため、ある程度のパラメータ調整が必要であった[11]

今回は既にあるグラーツの試験結果から30m100mの運動エネルギが判明しているため、この結果と大凡で一致するように調整を行った。結果の一部を図1,2,3に示す。速度が遅くなるにつれて抗力も小さくなるため、指数近似が可能であろうと推定されたが、ほぼその通りの結果となっている。また、エネルギが小さくなるにつれて誤差が大きくなっているが、許容範囲であると判断した。以上のことから、本条件で計算を行うこととした。

 

1. 大口径マスケット銃 弾丸径19mm、初速482m/s

 

2. 大口径マスケット銃 弾丸径20.2mm、初速533m/s

 

3. マスケット銃 弾丸径14.3mm、初速449m/s

 

3)装薬および銃身長の関係

 前装式滑腔銃は、装薬の量を調整することにより弾丸速度を増すことが可能である。また、理論上では銃身長が長いほど火薬の燃焼ガスによる圧力を弾丸が受ける時間が長くなることから、より多くのエネルギを得ることができると想定された。

 そこで、装薬量と銃口射出時の弾丸運動エネルギ、そして銃身長の関係を、グラーツの試験結果から算出した。結果を図4示す。仮に銃身長の長さが運動エネルギに関連するならば、長さに関連した傾きが見られるはずである。しかし結果は、長銃身であれ短銃であれ、装薬1gに対して発生エネルギは一定値(137 J/cm2)で近似できる結果であった。

 以上より、少なくとも前装式滑腔銃の実用領域においては、装薬量のみが弾丸の運動エネルギに影響を及ぼし、銃身長の影響は基本的に無視できると判断した。

4. 装薬発生エネルギと銃身長

 

5.火縄銃の初速の決定

1)各種実験の初速について

 主人公が手にする火縄銃の初速は、装薬量で決定される。グラーツの試験では愛好家のために作られた標準化された現代の火薬を用いており、近世当時よりも良質であった。装薬量の目安は近世の慣行に則り3分の1を目安[12]として、最適量が実験的に決定された。この結果は既に表4に記した通りであり、平均454m/s、最速で533m/s(収蔵番号G358)、最低速で385m/sであった。

しかし、装填される火薬の量や質が異なれば違う結果となる。例えばヒュージはその自著で18世紀フランス軍の燧石銃の銃口初速が320m/sであると述べている[13]。また、現代の日本製火縄銃の試験の一つでは、銃口初速330m/s(三匁筒)との測定記録[14]がある一方で、別の測定では約480m/s(一匁五分筒)の記錄もある[15]。なお、480m/sの測定記録に従えば、このときの装薬1g当たりの発生エネルギは330 J/cm2に達していた。近世の慣行に則らずに19世紀の火薬と装薬量(おそらく弾丸質量の半分以上)で実験を行ったA.R.ウィリアムズは短銃身(0.5m)を用いて最速600m/sを記録している[16]

そこでこの記録上の最速値600m/sが、表2で想定した火縄銃であり得る水準の速度であるのかを確認した。

 

2)内圧の問題について

装薬量を増やして弾丸速度を増そうとするならば、最も気をつけなければならないのは、内圧の問題である。余りに装薬を入れすぎると暴発の危険性が高まるからである。そこで、どの程度の内圧が加わるのかについて確認した。

グラーツの試験では収蔵番号Dep. E 28を用いて圧力測定が行われた。装薬815gの範囲で数回の実験を行ったところ、発生内圧で335454気圧、最大圧力に達するまでの時間は点火から2ミリ秒以内であった[17]。これを基にして以下の計算を実施した。

まず燃焼時間と銃口初速、弾丸質量からグラーツの圧力測定結果が単純化した計算式に合致するのかを確認した。続いて、その結果を用いて、どの程度の圧力と初速の関係ならば火縄銃が耐えられるかを推定した。

@  グラーツの試験結果の確認

弾丸質量m=29.89g、銃口初速v=543m/s(装薬15gの時)、燃焼時間s=2.0×10-3 secとし、最大圧力発生以降は速度が一定(力は加わらない)と単純化した場合、力積の計算より装薬の燃焼で弾丸に与えられる力Nは以下のように求まる。

Ns=Δmv

N×2.0×10-329.89/1000×543

N=8,115.23 N(ニュートン)

弾丸断面積S=2.3cm2であるので、弾丸に加わる圧力Pは大凡で以下のように求まる。

P=N/S=8115.23/2.3=3528.23N/cm2=35MPa

 

実験測定値は335454気圧=3446MPaであることから、試験結果と単純化した計算の結果は同等であると判断できる。

加えて、ここで記錄は2ミリ秒以内となっていることから、仮に実験測定値46MPaが装薬15gの時の値であるとすると、燃焼時間は1.53ミリ秒と求まる。

A  火縄銃の初速の推定

今回の火縄銃が特別製であったことも加味すると、初速は可能な限り速くあるべきである。そこで、仮に銃口初速を実験記錄上の最高速である600m/sと設定したときの内圧があり得るレベルであるのかを上記の単純化した式で計算した。

 

弾丸質量は弾丸径15mmで鉛の比重を11.3とするとm=19.9g

弾丸断面積S=1.8 cm2。燃焼時間s=1.53ミリ秒。

P=N/S=(mv/s)/S43MPa

 

この結果から、銃口初速600m/sでも、あり得るレベルの内圧に収まることが想定された。

 

3)装薬の発生エネルギ

次に装薬量に対する発生エネルギがあり得るレベルであるかを確認する。グラーツの試験では銃身長に関係なく、装薬1gに対して平均137 J/cm2のエネルギが発生していた。銃口初速を600m/sであると仮定すると、この時点の運動エネルギは3582J2027J/ cm2)となる。

装薬量を弾丸質量の半分以上であると仮定して、ここでは弾丸質量比60%と仮に設定すると装薬量は12gとなる。その結果、装薬1gに対しての発生平均エネルギは169J/cm2となった。これはグラーツの結果と比較しても妥当な数値レベルとであると判断できる。

 

 以上のことから、火縄銃の銃口初速とそのエネルギを表5のように定めた。

 

5. 火縄銃の銃口初速とエネルギ

銃口初速

600m/s

初速の運動エネルギ

3582J

装薬1g当たりの発生エネルギ

169J/cm2

6.距離240mにおける運動エネルギ

 第5項までの推算により、銃口初速600m/sで径15mmの鉛玉が射出される想定が物理的に問題ないことが明らかとなった。そこで、第4項で利用した計算プログラムを用いて距離240mにおける運動エネルギを計算した。結果を図5に示す。

初速600m/sの場合でも距離240m時点での運動エネルギは464Jで、エネルギ/断面積比は263J/ cm2であった。これは、表1で想定した鋼板1mmを撃ち抜くのに必要な平均的なエネルギ280320 J/cm2に僅かに足りない値であった。もちろん、この数値は大きな誤差を含んだ値であるため、撃ち抜ける可能性は十分にある。しかし、甲冑の方においても、実際においては曲率を持っており、それによる傾斜装甲効果と避弾経始効果により、正面から1mm厚の鋼板を撃ち抜く以上のエネルギが必要であることが推測できる。以上のことから、推定した火縄銃を用いた場合、初速600m/sであっても距離240mで装甲厚1mmの甲冑を纏った人物を撃ち殺すには、いささか心許ないと判断せざるを得なかった。

では更に初速を上げるべきなのであろうか? しかし、計算結果は余り効果がないことを示した。図5では、グラーツの結果から推定される一般的な初速の場合についてもプロットしており、その結果は初速を上げた効果が限定的であることを示していた。

計算結果に従えば、240mにおける運動エネルギは大部分が空力抵抗により失われ、初速の差ほどに著しい差を生むことはなかったからである。しかし、これはそもそも、遠距離での弾丸威力の向上には、弾丸質量を増す(口径あるいは弾丸径を大きくする)必要があるという基本原理が正しいことを示しているに過ぎない。本計算の結果は、どうして大口径マスケット銃が一時期においてヨーロッパで流行したのかを説明するものでもある。

 

5. 火縄銃の運動エネルギ

 

では、仮に大口径マスケット銃であれば、240m離れた場所から装甲厚1mmの甲冑を纏った人物を撃ち殺すことが可能なのであろうか?

グラーツにおける試験において所蔵番号G358の大口径マスケットは、記録上最も初速が速く(533m/s)、大口径(弾丸径20.2mm)である。その運動エネルギについては既に図2で示している。初速の運動エネルギは6980Jであり、100m時点での運動エネルギは2993J934J/ cm2)。この運動エネルギで鋼板4mmを撃ち抜いている。計算に従えば、240m時点での運動エネルギは1152Jで、エネルギ/断面積比は360 J/ cm2である。

このエネルギ量であれば320 J/ cm2以上で、なおかつ多少の裕度を見込めるため、実際の傾斜装甲や避弾経始の効果を含めても、鋼板1mm厚の甲冑を纏った人物に危害を加えられるのではないかと期待できる。しかし、それであっても、甲冑の性能によっては失敗の可能性はあった。現代の鋼板と16世紀の鋼板の性能差を確認したグラーツの試験では、「現代の軟鋼が弾丸の運動エネルギを全て吸収できなかった一方で、16世紀の胸板はそれをなし得たという事実を示しており、これは恐らく、胸甲を冷間加工することにより素材表面を加工硬化させた近世の甲冑師の技能に寄るところであると考えられる[18]と結論づけられており、甲冑師の能力が重要であったことを示唆しているからである。また、素材の重要性についても既に1590年の時点で指摘されているところである[19]

7.結論

今回の一連の計算結果は、主人公が手にしている火縄銃を用いた場合、350歩の距離から胸甲を撃ち抜いてスピノラ将軍を殺害することがかなり難しいことを示すものであった。

但し、日本で言うところの侍筒(10匁以上)、その長銃身版であるところの大口径マスケット銃であれば可能性があることも判明した。このような大口径マスケット銃は重く、銃架と呼ばれる杖状の支えが射撃には必要であったが、あるいは劇中の主人公の持つ銃は、本来ならばもう少し口径が大きく、加えて特殊製法により軽量化が成し遂げられていたのかもしれない。

しかし、それであっても甲冑の性能が少しでも高い場合、あるいは想定した装甲厚1mm以上の甲冑を纏っている場合(銃器の性能が向上しつつあった当時において装甲厚は増大傾向にあり、スピノラ将軍が装甲厚1mm以上の甲冑を纏っている可能性は十分にあった)、その確実性は著しく減ずるだろうと推定された。グラーツにおける試験結果は、甲冑を身に付けた兵士に対して、当時の小火器が100m程度の近距離でしか致命傷を与えられなかったであろうことを示唆している。

つまり、主人公は余りに偶然と幸運に頼り切っていたと言わざるを得ない。あえて言うならば、主人公は確実性を増すためにも、もっと近づくまで待つべきであったか、城壁の外で待ち伏せをするべきであっただろう。

8.追加:命中精度

今回の一連の考察の中で命中精度について取り扱わなかったことを奇異に感じた方もいるだろう。しかし、この問題は取り扱うに足る命題ではない。何故ならばおよそ240m離れた場所から、弾丸を標的に狙い通りに命中させることは、滑腔銃の弾道学において不可能であることが証明されているからである[20]

すなわち、これまでの計算において一貫して無視してきたが、本来において弾丸は、火薬の爆発を受けて銃腔内を進む最中に不規則な回転が与えられる[21]。この回転こそが弾丸の軌道を大きく左右する要素なのである。これはマグヌス効果として一般に知られているが、簡単に言えば野球の投手が投げる変化球の理論である。そして大変残念なことに、野球の投手はこの回転をある程度において操ることができるが、銃の射手は制御できなかった。この点において日本の火縄銃も、ヨーロッパの前装式滑腔銃も変わらない。

確かに日本の火縄銃の命中精度は、ヨーロッパのものよりも良いと一般に言われているが、それは射撃機構における差(日本は瞬発式、ヨーロッパは緩発式)でしかなく、如何に射手が銃身を動かさずに射撃をしても、その後に弾道がマグヌス効果により曲がってしまえば、それはまったく意味のない話になる。当然、距離が短ければ弾道が曲がる影響は最小限に抑えられる。そのため、現在の競技世界は50m程度の距離で命中率を競っている。そして、その射程内であれば、射撃機構に起因する差が命中精度に影響を及ぼし得るだろう。しかし、それ以上の距離、しかも今回のように200mを超えた場合、すべては確率に頼るほかはなくなるのである[22]。これが当時の火器の限界であった。

謝辞

本稿を作成するにあたり、プログラムを利用させていただいた、サイト「シキノート」のシキノ様@sikinoteに感謝の意を表します。BB弾を対象とした弾道学についての紹介と理論は以下の、氏が運営されているブログ記事にて読むことができます。

 「シキノート」(http://slpr.sakura.ne.jp/qp/

 

なお、本稿における計算ミスなどの責任は執筆陣(オオタ及び旗代)にあります。もし本稿のエネルギ計算などに間違いなど見つけましたらご連絡をお願いいたします。

 



[] なおスピノラの弟フェデリコ・スピノラも実在しているが1603年に死去しているので、おそらく劇中のフェデリコとは別人だろう。

[] John A. Lynn, A. Giant of the Grand Siècle: The French Army, 1610-1715. (Cambridge: Cambridge University Press, 2006), 490. ルイ13世は1638年にわざわざ貴族の将校層に甲冑の着用を命じなければならなくなっている。これは当時において将校層が甲冑を忌避するようになっていたことの一つの証拠である。また以下も参照。リチャード・ブレジンスキー、小林純子訳『グスタヴ・アドルフの騎兵』(新紀元社,2001年)11. 同様の傾向は同時期のスウェーデン軍でも見られる。

[] 奥主博之『西洋甲冑と西洋剣の理解』(同人誌, 201550.

[] 画像からの長さ測定は以下のサイトのエクセル・マクロを活用した。 あとりえ えむとえむ「長さ・面積測定Ver 2.00」『あとりええむとえむ 別館』2012-10-26更新(最終閲覧日2018-4-25)  http://hp.vector.co.jp/authors/VA004392/Download.htm

[] バート・S・ホール、市場泰男訳『火器の誕生とヨーロッパの戦場』(平凡社, 1999年)211-245.; Peter Krenn, Paul Kalaus, and Bert Hall, “Material Culture and Military History: Test-Firing Early Modern Small Arms,” Material Culture Review 42 (1995): 101–9.

[] Ibid., 104–5.

[] ブリネル硬度(HB)とビッカース硬度(HV)はある程度の換算が可能である。

例:HV290=HB275, HV310=HB294

[] Ibid., 104.

[] Ibid., 105.

[10] シキノ「弾道計算(BB)のコード」『シキノート』2016-7-25更新(最終閲覧日2018-4-25 http://slpr.sakura.ne.jp/qp/bullet-course3/

[11] 調整が必要となった原因については、弾丸が理想上の完全な球体ではないからでは、との示唆を頂いている。また、本稿におけるエネルギ計算では弾丸の回転については無視した。これは計算の簡便のためであるが、実際と比較すると大きな差となるだろうと推測する。

[12] Krenn, Kalaus, and Hall, “Material Culture and Military History: Test-Firing Early Modern Small Arms.”,102. ホール『火器の誕生』214.

[13] Basil Perronet Hughes, Firepower: Weapons Effectiveness on the Battlefield, 1630-1850 (New York: Sarpedon, 1997), 26.

[14] GUN編集部『別冊GUN(国際出版、1981) 201.

[15] 須川薫雄「威力の実験−はたして鎧は鉄砲に対抗できたか−」『日本の武器兵器』2017更新(最終閲覧日2018-4-25http://www.日本の武器兵器.jp/part1/archives/39

[16] ホール『火器の誕生』215-216.

[17] Ibid., 136-138.

[18] Krenn, Kalaus, and Hall, “Material Culture and Military History: Test-Firing Early Modern Small Arms,” 106.

[19] ホール『火器の誕生』231. 1590年にサー・ヘンリー・リーはイングランド国内産の鉄で作った幾つかの鋼鉄製胸甲のテストをするように迫られた。その結果、ドイツの鋼で作った標本は、ピストルの射撃に耐えて小さなへこみができただけで一発も突き通らなかった一方で、国内産の胸甲は貫通してしまったというものであった。彼は「形は悪いがすぐれた金属の鎧をもつほうが、形はよくても悪い金属の鎧をもつよりよい」と警告している。

[20] Ibid., 218-228.

[21] 加えて、前装式滑腔銃において不可避な弾丸外径と銃身内径の差(遊隙、windage0.2mm程度から0.9mmに及ぶ場合もあった)が、この不規則な回転を助長した。

[22] 日本最古の要人狙撃として、織田信長を狙った杉谷善十坊の逸話において、彼は銃身に二発の弾丸を込めて射撃を行い、命中確率を上げようとしたと言われている。同じ事例は1609年の北米でも報告されており、その後のヨーロッパの戦場でも度々、報告されている。これは前装式滑腔銃の命中精度が東西において、同程度であったことを示していると考える。なお命中率についての試験はグラーツでも実施されているので興味があれば一読願いたい。