三十年戦争 400年企画

二つの正統と国家理性(中)

  五、ボヘミア及びハンガリー王の鬱屈

 春風が窓から吹き込み、濛とした湯気を空中の渦に変える。高い頬骨と隆起した鼻を持つ男が、泥水のような、煮えくり返ったものをザクセン軍司令官アルニムのカップに注ぎ込む。
「これは、飲み物か」
「ああ。トルコ人が好んで飲むものだ」
 席についたヴァレンシュタインが無愛想に答えた。
「いただこう」
 アルニムはその泥水を口に含む。それと同時に、ヴァレンシュタインは言った。
「熱いぞ」
「今分かった。しかも苦過ぎる」と、アルニムは舌を出してむせた。「異教徒のものなど飲ませおって。悪魔にでも憑かれた気分だ」
「失敬な。それが異教徒のものであったのは過去の話。三十年ほど前に教皇猊下がコーヒー豆に祝福を与えて以来、キリスト教徒のものにもなったのだ。知らないのか」
「俺は一応ルター派だぞ」
 アルニムは憮然として言った。
「おぬしが何派かなど知らぬ。さっさと飲むがよい」
「言われずとも」
 アルニムは三度息を吹きかけて冷まし、飲み干した。カップの底には、どす黒い滓がこびりついている。
「トルコ人は滓の残り具合によって吉凶を占うという。さあ、その杯をよこせ」
「おぬしの得手は星占いだろうに」
「そうだ。しかも既に星は動き出しているのだから、卜するまでもないな」
 星が動き出したからかどうかはともかく、ヴァレンシュタインは一六三二年四月後半に皇帝から再三の復帰要請を受諾して皇帝軍総司令官に返り咲いていた。彼がまず奪還を目指したのは、ザクセン軍に占領されていたボヘミアだった。そして今、プラハを訪ねてザクセン軍司令官と密談を交わしている。
「して、用向きは」
「アルニムよ、プラハを明け渡せ」
「うむ。そろそろ頃合いだな」
 アルニムはあっけなく応じた。
 スウェーデン王はミュンヘンを落とした勢いで長駆ウィーンを衝くものと思われたが、五月になってもバイエルンにとどまっていた。それも、ザクセン軍の動きが疑わしいからだ。アルニムは皇帝軍に攻撃をかけないどころか、ヴァレンシュタインのボヘミアでの募兵を妨害することさえしなかった。
「さすがそなただ。物分かりがよい」
「ドイツがこれ以上、外国軍に荒らされるのは見ておられぬ」
「よく言った! 交渉成立だ」
 ヴァレンシュタインは炯炯とした目をアルニムに向けて怪しげに微笑むと、自分の杯にコーヒーを注いで言った。
「もう一杯、どうだ」
「遠慮しておこう。トルコの豆は口に合わぬのでな」
――トルコという響きも懐かしいな。
 アルニムはふと思った。
 欧州人が「トルコ」と呼ぶ異教徒の国、オスマン帝国はバルカン半島の支配を完成させてさらにハンガリーの大部分を併呑(へいどん)した(当時、オーストリア家のハンガリー王が実効支配できているのはハンガリーの北部と西部のみ)。キリスト教世界の守護者を自認する神聖ローマ皇帝は、ポーランド王と協力してしばしばトルコと干戈を交えてきた。その際に名を挙げて軍職を天職と見定めた傭兵隊の軍人たち――ヴァレンシュタイン然り、アルニム然り――が今、キリスト教徒同士の戦争の主役となって血を流し合っている。ちなみに、現在キリスト教徒が心置きなく内ゲバに励むことが出来ているのは、オスマン帝国が東方のサファヴィー朝ペルシアとの戦争に集中しているからである。
「ヴァレンシュタインよ」と、アルニムは問いかけた。「この戦争が終わったら、貴様と俺はトルコとの戦争を共に戦うことになるかもな」
「俺は御免蒙りたい。対トルコ戦争など、得がなさそうだ」
「トルコ人の豆がたくさん分捕れるかもしれぬぞ」
「ふん」と鼻で笑うと、ヴァレンシュタインは一気にコーヒーを飲み干し、杯底の残滓に見入った。

 ヴァレンシュタインは五月二十五日にプラハを占領、さらに六月七日にはザクセン軍をボヘミアから完全に追い払った。交戦によってではなく、交渉によってである。ザクセン軍司令官アルニムはザクセン公と志を同じくしており、スウェーデン王の「勝ちすぎ」を望まなかったのだ。
 スウェーデン王は同盟軍であるザクセン軍の不気味な動きを危惧した。もしザクセン公がスウェーデン王を裏切れば、スウェーデン軍は敵中深くに孤立することになる。グスタフ・アドルフは体勢を立て直すべくバイエルンから北へ撤退した。ヴァレンシュタイン復帰の影響は甚大であった。

 ヴァレンシュタインの活躍による戦局巻き返しを、手放しで喜べない貴公子がいた。皇帝フェルディナント二世の嫡男、フェルディナント三世である。一六〇八年生まれの彼は、一六二五年にボヘミア王位を、一六二七年にハンガリー王位を父から譲られていた。ちなみに、彼は特定の君主の立場として扱われない場合、最も高位の称号である「ハンガリー王」の名称で呼ばれる。
 ヴァレンシュタインが復帰を渋っていたころ、三世は血気盛んな若武者らしく、自分を皇帝軍総司令官に任じるよう皇帝に懇願したが押しとどめられた。
 ヴァレンシュタインが復帰のため皇帝から獲得した条件は、軍への絶対指揮権だけでなく、条約締結権、報酬としてオーストリア家世襲領の一部割譲と選帝侯位授与、そして皇帝一族の軍務禁止という法外なものであると噂されている。フェルディナント三世にとって最も屈辱的な条件は「皇帝一族の軍務禁止」である。
――明らかに私を愚弄している条件ではないか!
 ハンガリー王とて、己が歴戦のグスタフ・アドルフやアルニムを華々しく打ち破って凱旋する姿を夢想したりするほど愚昧ではない。自分に戦争経験が乏しいことなど、百も承知である。彼を突き動かしていたのは、ボヘミア王としての立場であった。自分の王国が敵軍に占領されているのを拱手傍観することなど我慢ならない。
――私は正統なるボヘミア王だぞ。
 ボヘミアは貴族の議会の力が強い領邦で選挙によって王が選ばれる国だったが、フェルディナント二世が徹底的に貴族の反乱を鎮圧した後、世襲王政に移行していた。新国体ボヘミアの正統な国王として君主のキャリアをスタートさせた三世は、ボヘミアに対する思い入れが強かった。
 だが、新ボヘミアで最も実力をつけた者は、王ではなくヴァレンシュタインであった
 ヴァレンシュタインはボヘミアの小貴族の家に生まれた。暴力事件でパヴィア大学を退学、暴力を生業とする軍人になった。
 傭兵隊で勤務して軍歴を重ねる一方、裕福な未亡人と結婚して財産を入手、それを元手に金融業で成功した。稼いだ金で自分の傭兵隊を組織して傭兵隊長としてデビューする。ちなみに当時の傭兵隊は、兵隊を自費で集めた傭兵隊長が君主や国家と契約することで成り立っている。君主は金を出しても、傭兵隊内に口は出せない。傭兵の出身国は多岐に及び、その信仰も様々だった。
 ヴァレンシュタインはボヘミア反乱鎮圧後、没収され競売に付された反逆者の土地を買い漁って、累計ボヘミアの四分の一を支配する大領主になった。その膨大な所領からの上がりが、彼の傭兵隊を巨大化させる資金源となったのである。
 ボヘミアでは多少の直轄領と王位しか持たないフェルディナント三世に対し、ヴァレンシュタインは巨大な所領、膨大な資金、強力な軍隊を保有している。しかもボヘミアを敵軍から解放したのはヴァレンシュタインなのだ。
――ヴァレンシュタインの復帰条件には、「選帝侯位の授与」が含まれているという風説があるが、もしそれが本当ならば……。
 現在の七人の選帝侯は、マインツ大司教、ケルン大司教、トリーア大司教、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯、バイエルン公(かつてはプファルツ伯)、そして、ボヘミア王だ。ヴァレンシュタインが求めるとすれば、最後の一つであるに違いない。皇帝が自らの皇子の国をみすみす明け渡さないとしても、もし仮に新たな選帝侯位をヴァレンシュタインのために新設するとすれば、それはそれで皇帝の威厳は地に落ちることになる。皇帝にとって、ヴァレンシュタインは諸刃の剣だった。

 ヴァレンシュタインはスウェーデン王を追って北上し、ブライテンフェルトのすぐ南、リュッツェンで両軍は衝突する。結果はスウェーデン軍の圧勝だったが、スウェーデンはかけがえのないものを失った。スウェーデン王グスタフ・アドルフが銃弾を受けて戦死したのだ。一六三二年十一月十六日のことである。
 スウェーデン王位はグスタフ・アドルフの幼い娘クリスティーナが継承した。
 スウェーデンは偉大な王を失ったが、膨大な国帑を投入して優勢に進めた戦争から利益を得ずに手を引くつもりはなかった。この国が求めるのは平和ではない。「名誉ある平和」である。
 一六三三年三月、スウェーデン宰相オクセンシェルナはライン河の支流ネッカー河付近の都市ハイルブロンにて会議を招集、帝国の新教諸侯を集めた。新教諸侯は皇帝軍の猛威を恐れているため、引き続きスウェーデンの軍事力に頼るしかない。
 翌月にハイルブロン連盟が結成されるが、そこにはフランスも加盟した。フランスはスウェーデンに引き続き軍費を支給し、ドイツの戦争に影響を及ぼしていた。フランスが望むのは、スウェーデンと皇帝の痛み分け・共倒れである。
 ザクセン公はハイルブロン会議を欠席した。帝国で最大の影響力を持つ新教諸侯である己が欠席することで会合自体を台無しにし、スウェーデンの威信を削ぐためだったが、かえって新教諸侯の指導者がスウェーデンであるということを確実なものとするという結果に終わった。

 リュッツェンの会戦でスウェーデン軍に敗れたヴァレンシュタインは、一六三三年中、奇妙な行動を繰り返した。二月、敗戦の責任を部下に押し付け、一方的な判決により将校十三人を縛り首にした。このころからヴァレンシュタインは募兵を無計画に行うようになった。初めて彼の軍隊経営は赤字に陥り、かつては冷徹な実力主義によって任命していた軍職を売買の対象とした。戦争については、味方の救援依頼を一方的に無視し、敵軍との和平交渉の過程や目的などを皇帝には一切伝えないなど、意図不明な行動を繰り返した。また、傭兵隊を許可なく皇帝の所領に進駐させてその地を荒らし、皇帝の軍税軽減要求を握りつぶした。このような行為により、ヴァレンシュタインは部下にも皇帝にも不安を感じさせるようになっていった。フランス王がヴァレンシュタインの寝返りの見返りにボヘミア王位を保障する密約を交わしたという噂までまことしやかに囁かれていた。

 年末、ウィーンで開かれたオーストリア家の宮廷会議でヴァレンシュタイン罷免が決定された。新たな皇帝軍総司令官にはフェルディナント三世が任じられることも決まった。
 会議の後、皇帝父子は教会に足を運び、ヴァレンシュタイン排除にあたっての神の御加護を祈った。その帰途、嫡男は父帝に問いかけた。
「父上、ヴァレンシュタインに感づかれることなどはございますまいか」
「気づいたとて、かの者に何ができよう」と、皇帝は言った。「麾下の将軍たちは皆、朕に忠誠を誓っているのだ」
 初期のヴァレンシュタインは占領地から徴収した軍税によって強大な傭兵隊を養い、兵隊たちの衣食を保障していた。彼が罷免されている間に、皇帝はその軍税制度を利用して自前の皇帝軍を編成した。現在のヴァレンシュタインは、その軍の指揮官として「上から」任命されたにすぎないのである。将兵たちにとって、「食わせてくれる主人」がヴァレンシュタインであるという認識は、初期に比べると大きく薄くなっていた。
「ハンガリー王よ、朕の剣たる皇帝軍はお前のものだ。存分に使うがよい」
 皇帝は涙ぐみながら言った。
――私の皇帝軍総司令官内定を最も喜んでいるのは父上なのだ。
 フェルディナント二世は良き父であり、立派なオーストリア家の家長だった。敬虔な皇帝は、神の愛の教えを家族に対しても忠実に守っていた。そこに抑圧や暴力はなく、戦乱の中でも皇帝の家庭は幸せなものだった。
「はっ! 神の御為に、剣を揮う所存です。神への帰一、それが全てなのですから」
 ハンガリー王はそう言うと、十字を切った。
――教会のため。それは全てオーストリアのためだった。
 賢明なハンガリー王は、これまでの皇帝の政策――神のため、衅られたものとなってきた政策――が、オーストリア家の利益を一度たりとも犠牲にしようとはしなかったことを理解していた。王朝が先か神が先か、は問題ではない。結果がそうなっているのだから。フェルディナント二世において、神とオーストリア家領全体の国家理性(レゾン・デタ)らしきものとは無意識に共存していたのである。後に皇帝位を継ぐフェルディナント三世は形成期オーストリア国家の国益を明確に意識した政策を取るようになる。
「敬虔なるかな我が子よ! 朕はよき倅を持った。老い先は短いが、安心して神の国に旅立てそうだ。そなたがローマ王に選出されさえすればの話だが……」
 フェルディナント二世の最大の懸念はそれだった。
 現段階において、フェルディナント三世はオーストリア家の後継者ではあっても、神聖ローマ帝国の後継者ではない。二世の死後無事に皇帝に選出されればそれでよいのだが、この戦乱の情勢ではどう転ぶかわからない。現皇帝は自分の目が黒いうちに、選帝侯による嫡男のローマ王選出――事実上の皇太子指名――を獲得しておきたかった。これまで国制を蔑ろにすること甚だしかった皇帝も、皇帝位の合法的な継承には拘った。国制に則り選挙で選出されないと、それは正統な皇帝ではないからだ。フェルディナント二世はオーストリア家領邦の近世的国益追求に励む一方で、中世以来の皇帝位の輝きをオーストリア家から失いたくはなかった。

 翌一六三四年の初め、ヴァレンシュタインは己の身の危険を感じ取り、部下たちを集めて自分への忠誠を再確認した上で逃亡を図った。
 だが、それは無駄だった。二月二十五日、皇帝の勅命に従った部下たちの裏切りによって、あえなく暗殺される。四月、ハンガリー王は正式に皇帝軍総司令官に任命された。

  六、ネルトリンゲンの会戦

 皇帝軍には心強い味方がいた。スペイン軍である。
 スペイン王はオーストリア家の親戚である。これまで「オーストリア家」という呼称を使ってきたが、正確には「ハプスブルク家」という。ハプスブルク家には二つの系統があり、一つがオーストリア=ハプスブルク家、もう一つがスペイン=ハプスブルク家である。十六世紀半ばに皇帝兼スペイン王カール五世が、息子にスペインを、弟にオーストリアを譲ったことで系統が分裂した。分裂はしても敵対したわけではなく、両家ともにカトリック信仰と王朝利益を護持するために提携してきた。両ハプスブルク家の欧州の覇権は諸国の望む所ではないため、この一族は常に警戒されていた。帝国でオーストリア家が警戒されるのは、スペインの影響力によって『ドイツの自由』が侵される危惧のためでもある。
 スペイン王フェリペ四世はイタリア各地や南ネーデルラント(現ベルギー等)に領地を持ち、独立戦争を起こした新教国オランダ(ネーデルラント連邦共和国)とは戦争状態にある。スペイン軍は北イタリアからネーデルラント戦線へ向かうために、帝国西部のライン河畔を通過しなければならない。
 ちょうどこのころ、スペイン王から新たにネーデルラント総督に任じられたフェルナンド王子が、ミラノから軍勢を率いて北上しようとしていた。

 対する敵方は、三人の将軍が主力だった。ザクセン軍のアルニム、スウェーデン軍のホルン、そしてザクセン=ヴァイマル公ベルンハルトである。
 ベルンハルトはザクセン地方の中規模諸侯だが、傭兵隊長として新教方として戦って名を挙げてきた将軍である。当時、フランスの後押しを受けてハイルブロン連盟軍の司令官に就任していた。彼はスウェーデン軍のホルン将軍と戦いの主導権を巡って対立することになる。
 ザクセン公はハイルブロン連盟に加盟すらしていないため、ザクセン軍は皇帝と交戦状態にあるものの、独自行動を取っている。
 ザクセン軍はボヘミアに侵入したが、ハンガリー王はそれを捨て置いた。皇帝軍は七月にレーゲンスブルクを、八月にドナウヴェルトなど主要都市を次々と陥落させてバイエルンから敵勢力を駆逐、スペイン軍との合流を目指してさらに西へ進んだ。スペイン軍は皇帝軍を追うように、その進路のやや南を進む。
 ベルンハルトとホルンは皇帝軍の捕捉を目指して動き、アルニムは事態の進展を待つべくボヘミアから撤退した。

 八月下旬に皇帝軍は敵方が守る都市ネルトリンゲンを包囲、スペイン軍の到着を待った。ハイルブロン連盟軍は、自軍が到着するまで持ちこたえるようネルトリンゲンの守備隊長に要請した。このままネルトリンゲンまで落とされては連盟の武威は失墜し、ドイツの同盟者たちの動揺・離反を招く恐れがある。
 決戦が間近に控える中、ハンガリー王の本陣に朗報が舞い込んだ。
「枢機卿王子とスペイン軍、もうすぐ到着とのことです!」
「まことか! ならば余が義弟殿を出迎えよう!」
 ハンガリー王はいつになく高揚して馬上の人となり、スペイン軍の将フェルナンド王子を迎えに走った。
 フェルナンド王子はフェリペ四世の弟であり、フェルディナント三世の妻の弟でもある。高位聖職者の身分も保持しているので、枢機卿王子(カルデナル・インファンテ)と呼びならわされている。
 フェルナンドはスペイン語、フェルディナントはドイツ語の表記であり、両者は実質的に同じ名前である。しかも二人は同年代なので、理屈を越えて親愛の情が湧く。
「やあやあ、フェルディナント殿!」
「フェルナンド殿!」
 二人はお互いを見かけると馬を降りて駆け寄り、抱擁を交わした。
 フェルナンドは巻き毛の金髪とカールした口髭が特徴的な若者だった。
「息災でなにより! よくぞ参られた」
「ミラノより、遅ればせながら到着致しましたぞ! ハプスブルクの鷲の双頭が揃ったからには、勝利は間違いない!」
 フェルナンドはミラノからチロル、バイエルンと縦断した征旅の疲れを寸毫も見せない。心から義兄とともに戦うことを喜んでいるようだった。
――妻が言っていた通りの若者だ。
 ハンガリー王は妻からフェルナンドがどのような人物かを事前に聞いていた。そのフェリペ三世の第三王子は、生まれたときから僧侶になるように決められていた。物心ついたころからそのことに不満を持っていた彼は、華々しい戦争に憧れる明るい少年だったという。しかも、ただ憧れるだけでなく、戦術書を読んで勉強もしていたらしい。
――スペインの将軍たちの薫陶を受けていたのなら、枢機卿王子もなかなか頼りになるはずだ。
 スペイン軍は前世紀から精強をもって知られ、テルシオ陣形を考案したコルドバやオランダ軍を苦しめたスピノラなど優れた将軍を輩出した。兵団は将軍の命令で規律正しい動きで作戦行動に移れるように訓練されており、スペイン軍は各国に恐れられていた。
「フェルナンド殿、今日はゆっくり旅の疲れを癒されよ」
「心遣い、痛み入る。いやはや、軍議が楽しみだ! してフェルディナント殿、我が姉マリアは息災かな」
「もちろんですとも! 昨年出産した王子ともども、元気過ぎて困るくらいです」
 同族の貴公子二人はこの日を積もる話に費やした。

 スペイン軍の到着後、敵軍も姿を現した。
 ヴェルニッツ河を北にするネルトリンゲンの南には平坦な地が広がっているが、丘陵や樹木がまばらに存在している。皇帝・スペイン連合軍はネルトリンゲン南の平地に陣を敷き、敵の前進通路となる丘陵地にスペイン軍守備隊を置いた。
 左翼のベルンハルト軍は連合軍の西正面に布陣し、右翼のホルンのスウェーデン軍は連合軍の南の丘陵に兵を置いた。挟撃の構えとなったが、ホルンとベルンハルトの陣の間には樹林が広がり、お互いの軍勢が見えていなかった。
 九月五日、枢機卿王子は歩兵隊の小部隊を南下させて、敵の前進通路となりうる無人の樹林を占領したが、あまりにも小部隊であったため夕方には奪い返された。
「枢機卿王子は何を考えているのか! あのような小勢では、この結果になることなど分かりきっておるではないか」
 連合軍の陣営で悔しがっていたのは、皇帝軍の将ガラスだ。お飾りに近い皇帝軍総司令官ハンガリー王を補佐する将軍である。
「いやはや、面目ない」
 枢機卿王子はばつが悪そうに頭をかいた。
「ガラスよ、起こってしまったことは仕方ない」と、ハンガリー王は窘めた。「些事だ。気にするな」
 ハンガリー王は、戦の素人の自分に出来ることは、泰然としてふるまうことくらいだと自覚していた。
 その後、ハンガリー王は歴戦の諸将の作戦に口出しすることもなく、軍議を終えた。
 スペイン・皇帝連合軍は合わせて三万三千。ネルトリンゲンを背に、皇帝軍が前衛、スペイン軍が後衛を務める。対する敵軍は二万五千。
 九月六日明け方、ベルンハルト軍と皇帝軍は撃ち合いをはじめ、ホルンのスウェーデン軍は皇帝軍を南から攻撃した。歩兵を正面からぶつけ、頃合を見て、樹林から騎兵を脇腹に抉りこませることで決着をつけるのがホルンの計画だった。が、騎兵隊の大佐が状況を誤認していきなり皇帝軍に突撃した。スウェーデン軍歩兵は騎兵の計画的な支援がないまま、正面から皇帝軍の砲撃に曝されて前進しなければならなかったが、それでも規則正しく猛攻を仕掛けた。
 皇帝軍にはリュッツェンの戦い以来、スウェーデン軍の恐怖がこびりついていた。皇帝軍歩兵隊は大砲を捨てて北へ逃亡する。スウェーデン軍歩兵が追い打ちをかける。
「我が軍、スウェーデン歩兵の攻撃に算を乱して逃げ出しています!」
「なんと! まだ戦いは始まったばかりだぞ!」
 ハンガリー王は伝令の知らせに絶句した。
「陛下、身の安全を……あっ」
 伝令は額から血を吹き出して倒れた。それを見たガラス将軍は血相を変えた。
「陛下、あちらへ! もうこの場は危険です!」
「出端から大将が逃げてどうする! ガラス、逃亡兵を脅す手立てを講じよ。傭兵隊なら、残虐な脅迫方法くらいあるだろう!」
「そんな無茶な……」
 そのとき、敵中で赤い光が煌めいたかと思うと、耳を劈く轟音が鳴り響いた。それと同時に、人や千切れた手足が空に舞い上がる。
「あれは……」
「火薬が爆発したのでは」
 ガラスの言う通りだった。皇帝軍が放棄した大量の火薬が引火して敵中で大爆発を起こしたのだ。中天に昇る黒煙は人型を象っているように見える。
「聖母マリアの御加護だ……」
 ハンガリー王は呆然として呟いた。すかさず、ガラスが叫んだ。
「天にマリア様が現れたぞ! 天にマリア様が現れたぞ!」
 ガラスの絶叫を皮切りに、皇帝軍にざわめきが広がった。
「これで御味方の勝利は間違いない!」「神は我が方の味方だ!」
 スウェーデン軍は突然の爆発に動揺し、浮足立っていた皇帝軍は体勢を立て直した。枢機卿王子はこの機を見逃さず、スペイン軍歩騎兵をスウェーデン軍に突撃させた。強力なスペイン軍の猛攻にスウェーデン軍は押され続け、丘陵の尾根沿いにベルンハルトの陣の後方を目指して退却した。
 連合軍は西正面のベルンハルトの軍勢にも猛攻を加えた。ひとたまりもなく、敵軍は潰走を始めた
「ヴィヴァ・イスパーニャ(スペイン万歳)!」
 煙硝と砂塵にかき煙る戦場を幾千幾万の雄叫びが駆け巡った。
 逃亡するスウェーデン軍とベルンハルト軍は谷間で遭遇して大混乱に陥った。両軍は次々と連合軍に討たれ、または捕虜となった。勝者の計算では、敵の死傷者は一万七千、捕虜は四千であるという。
 空前の大勝利である。

――こんなにあっけなく勝てるのか。
 誰よりもハンガリー王が驚いた。戦争経験が豊富とは言えない二十五歳前後の王族二人が歴戦の敵軍を壊滅させてしまったのだから。
――聖母の御加護のおかげか、スペイン軍のおかげか。そういえば、勝利の叫びは「サンタ・マリア」ではなかったな。
「フェルディナント殿!」
 軽快な声がハンガリー王の耳に響く。勝利の美酒の酔い覚めやらぬ頭が痛んだ。
「これによって、戦争の趨勢が皇帝陛下有利になったことは疑いありませぬ! もはや双頭の鷲に敵なしです!」
「偏にフェルナンド殿のスペイン軍があればこそ。改めて礼を申します。ところで」と、ハンガリー王は問うた。「このまま、ネーデルラントへ行くのかな」
「はい。行く道を遮る新教徒がいれば蹴散らしてご覧に入れましょうぞ。この勢いなら、オランダの反徒などすぐに捻りつぶしてくれよう! では、フェルディナント殿、出立の準備をせねばならぬので私はこれにて。この戦いの名誉、我ら二人が勝ち取った栄誉は永遠に忘れませぬぞ」
 枢機卿王子はそう言って帽子を軽く上げて一礼すると、ひらりと馬に乗って己の道を進んでいった。
――西の王子さまは、最初から最後まで明るい男だった。あの御仁のあの表情はあと何年続くことやら。
 スペイン軍強しといえども、オランダの反乱を鎮圧できないまま既に六十六年が経過していた。
 帝国では、一六一八年のボヘミア反乱から十六年が経過していた。断続的な戦闘による犠牲者などは「悲惨」の数の内にも入らない。都市や村落での兵隊による略奪・暴行・拷問、人災と天災とが相互に顔を見せる飢饉、最悪の衛生状態ゆえの疫病。帝国全土が、疲弊の極にあった。
――少年の頃以来、何度も父に尋ねてきた。「戦争はいつ終わるのか」と。皇帝は答えた。「じきに終わる」と。
 ボヘミア反乱が鎮圧されたとき、デンマーク王の介入を退けたとき、復旧令が発布されたとき、ヴァレンシュタインが罷免されたとき、グスタフ・アドルフが戦死したとき……。画期は何度もあった。だが結局、平和は戻ってこなかった。
 今、ハンガリー王のもとには平和への切符があった。皇帝軍の空前の大勝利。この勢いを駆って、スウェーデン軍を退け、帝国全域の平和を回復できれば……とは思うものの、平和回復の一歩手前に見えてそれが成らなかったことは一度や二度ではなかった。
――それでも、私は大勝利という一縷の希望に縋って優勢にことを進めなければならないのだ。
 首元の十字架を力強く握ったハンガリー王を、一陣の風が襲った。秋風はネルトリンゲン近郊の野を駆け抜け、骸にまとわりつく襤褸切れを攫っていった。

 フェルディナント三世の皇帝軍は勝ちに乗じて西ドイツを席巻した。それにより、ハイルブロン連盟軍とザクセン軍の乏しい連絡は遮断された。ネルトリンゲンの戦いによって連盟におけるスウェーデンの求心力が弱まったばかりか、重税に喘ぐスウェーデン本国では和平を求める声がささやかれていた。
 一六三五年二月、ハンガリー王はザクセン公と休戦した。皇帝とザクセン公の間で、和平が結ばれる可能性が高まった。
 皇帝軍の圧勝による和平ムードが高まる中、無傷のフランスが外交攻勢をかけてくる。四月三十日、フランスはスウェーデンとコンピエーニュ条約を締結し、同盟を更新する。
 さらに、フランスは二月にオランダと同盟を結び、五月二十一日にはスペインに宣戦布告した。スペイン領ネーデルラントとスペイン本国に東西を挟まれているフランスにとって、優勢なスペイン軍が東隣に現れるのは脅威だった。フランスはオーストリア家の圧勝によって平和が訪れることを望まない。フランス王ルイ十三世の宰相リシュリューに言わせると、キリスト教世界の平和のために必要なのは、諸国君主の勢力均衡であり、両ハプスブルク家の覇権はその均衡を崩す悪しきものなのである。大国が求める勢力均衡は、自国優位の均衡であることは言うまでもない。フランス軍はスペインとの戦争やスウェーデン援助の過程で、しばしば帝国西部にも出没している。フランスは、帝国の戦争に本格的な介入をしようとしていた。
 スペイン領ネーデルラントの枢機卿王子フェルナンドは、オランダ軍だけでなくフランス軍とも、死ぬまで――一六四一年まで戦うことになる。

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